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2021

 

 

 

 

 

青山スケッチ日記 [群馬山波石峡]

1230() 写生途中、突風に吹かれ、やっと紙を丸めて退散したままの19日の絵を広げてみる。あと半時間あれば思い残すことないが中途で終わってもこれはこれだ。石峡を見た爽快感で満足。石と水のドラマチックに絡み合う形相を面白く描きたかったがまたのことだ。暖冬の予報もすげなく寒波到来、今年は終わる。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺]

 1214() 落ち葉をかさかさ踏んで…今日は何の日忠臣蔵討ち入りの日。3時の寒さはひとしお、足元から厳しく冷えて人の気配もなく、冷たい風が容赦なく吹き付ける境内はさみしい。一時間して一枚描いて帰る。きのうは仏の顔を描く。望むならば飾ってくれる人があればいいがと思う。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [所沢航空公園池之端]

1117() 昨日、秩父小川の和紙を買ってきた。久しぶりに行くと若い娘さんが応対してくれた。よもやま談義を楽しんだ久保お爺さんは数年前に他界して代替わりしても和紙は昔のままだ。水墨画には気に入らず、使ったことがないが今日は試しに描くと案の定、思わしくない。全紙を屋外で描くには丈夫が取り柄だが墨が伸びない。

我を折って紙の質に合わせよう。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [かも所沢航空公園]

112()例年になく今年は柿が豊作のようだ。たわわに折り重なって実のついた枝は今にも折れんばかりだ。晩秋の色合いが深まってきた。久しぶりに鴨の写生に昼時の公園の池に向かう。三々五々、群れて泳ぎ回っているかも。まず、陽だまりに浮かんでいるようなマガモのつがいに目を凝らしてざっと描く。じっとポーズをとってくれはしない。筆任せに一気呵成、クロッキーだ。全紙6切に6枚描いて遅い昼食をとる。(寄稿者  青山穆)

   

 

青山スケッチ日記 [群馬甘楽]

1029()どうだんつつじが深紅にひときわ色づいて、清楚な城下町だ。お屋敷の縁側に陣取って前庭の池のふちに季節外れの一輪咲くアヤメを見ながら遠方の山を写生。秋の穏やかな昼どきだった。一枚描いてまた、行きあたりばったり散策。屋敷や軒下を縫うように豊かな水量の流れる側溝が印象に残る。また来たいと思う。つるべ落としの陽が傾いて2枚目を描き終えると、車のライトが眩しかった。(寄稿者  青山穆)

   

 

青山スケッチ日記 [奥多摩御岳渓谷]

1022()久しぶりの御岳、昼に着く。ところどころに紅葉がはじまっている。すでに秋なんだ。激流の水音、陽に映える石群、山並み、みんな一体になって迫ってくる。しばらく、呆然と立ちすくんでいた。雑念が洗われる。秋の日は短い、2枚描き終わると山影は濃く、水面も色濃くなって昼の気配はない。あと1時間もすれば今日は満月が見られたと思う。(寄稿者  青山穆)

   

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾妻峡]

108()曇天の今にも雨の降りだしそうな天気。降ればそれも一興かと全紙を広げて2枚描いた。今日も石だ。幽玄に思いを馳せて、意を吐き出すとなんと気持ちよく楽しいものか、今生きているということの心境だろうか。有難いことだ。森羅万象に感謝。(寄稿者  青山穆)

   

 

青山スケッチ日記 [多福寺]

 102()台風一過して境内は樹木が打ちつけられて大荒れの様子が目に浮かぶ惨状でした。帰り際に片付けの植木職人と立ち話に「その絵、お寺へ上げたら喜ばれるに…」と。描いてしまった絵の始末に思いもしないひとこと。そもそも、なぜ描くのかと日ごろ愚問していることに一案を得た気がする。自分の喜びよりも他人が喜ぶ絵を描く方がよいでないか。これで方向付けは決まった。残り人生を注ごう。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾妻峡石群]

919() 曼珠沙華が咲き乱れる。久しぶりの秋日和。石の写生に飯能名栗へ向かう。川原に降りて石を平手でなでたり、さすったり、たたいたり、その感触に浸る。

意外なほどに石は固く、冷たい。手のひらは暖かく柔らかいことの対比に驚く。何百何千年もの昔から、この石はこのようだったと思うが、生まれて80余年の手のひらは今日、明日にも形骸化するやもしれない。なぜ、石を描こうとするのだろうか。(寄稿者  青山穆)

   

 

青山スケッチ日記 [武蔵野三芳町多福寺]

822()かつては武蔵野であった所沢近郊、昔日の面影を偲ばせる屋敷林の古民家やお寺さんの白壁を目当てに写生地を探す。白壁は武蔵野の風情がよく映える。静かなたたずまいであっても造形的な動きが見つけられて楽しい。今日は例年にない酷暑も台風に押されてか、木陰は涼しい。ケヤキのある茅葺の古民家で囲炉裏の熱いお茶をご相伴になる。暑さをしのいで西日の影が濃くなる夕刻までまた一枚描いて帰る。(寄稿者  青山穆)

   

 

青山スケッチ日記 [奥多摩払沢の滝]

627()丹沢渓谷をテレビで見たが下準備がいる、もっと近くをと五日市払沢の滝へ向かう。沢の水音を聞き、緑陰を歩くとほっと安心感に満たされる。何度来ても新しい発見がある。今日は骨描きで筆の感触を楽しんだ。楽しみの半場に健ちゃんの訃報があった。(寄稿者  青山穆)

  

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾妻峡流水]

622()途切れることもなく流れる水を見ているとどこか深淵に誘い込まれるような不思議な心境だ。水は描かずして描くものと水墨画では云うが、今日はあえて渓の流水を描く。逆も真なりと云うではないか。水そのものを律儀に描こうとするから無理を生ずる。やはり、水墨画は一つのもののみでは存在感を表現できない白黒の世界と痛感する。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾妻峡]

620()関西で大地震。今日は梅雨の晴れ間。渓谷の石を描きに向かう。

石は三面で描くと聞く。白黒の二次元に三次元を取り込む意図なのか、否、これには多様な解釈が付きまとう。複雑に考えず、古代の教えに従おう。むしろ、石は一個では存在できない、縁というではないか一個の石を描くのではなくて石を取りまく環境を写生するがよい。自ずから、自我意識が薄れて自然界に埋没していくだろう。白黒の力でなかろうか。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵飯能の丘陵]

613() 平線上に見える近くの山を描いた。山水画の中景になる部分である。デテールの表現に一番迷うところだ。今日はただ、何事も意に介せず、筆を走らせた。それとなく何か、新しい器が見つかるような雰囲気である。清い水は新しい器に限ると思う。(寄稿者  青山穆)

  

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾妻峡]

64() 奥武蔵吾妻峡 智光山公園の菖蒲はこの日曜日に二番花で満開だった。去年の日記は2分咲き、あと3、4日だと記している。

絵の価値の良し悪しは誰が描いたかにより決まると中国での話を聞いたが、気に入ればそれでいいでないかと思う。絵は作者の人間性が現れる。自分の絵は自分で決めて精進すること。人生を絵にかぶせたい。絵があっての人生か、生きることがあっての絵なのか、一如両輪だ。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [富士五湖巡り]

515()16() 富士五湖巡りの1泊写生―墨美会参加。向学心に燃えて上京のたびごとに東海道線の車窓からの富士山のが待ちどうしかったが、まさか、富士を描くとは昨日の今日まで一度も思い寄らなかった。五湖巡っての崇高な富士の山、繰り返し、眺めると信仰に惹かれる心境が分からなくもない。絵は周辺を描けばいいと思う。正面から取り組む山でない。(寄稿者  青山穆)

    

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵正丸大蔵]

56()せせらぎと石にひかれて今日は正丸へ足を延ばした。高麗川の源流になるところだ。写生に良い足場がなくて困った。石周りだけを描いておけば良いと思いながら山まで取り込んだ作画になってしまった。絵らしくしたいと目先に囚われて本質を見極めることから外れてしまうのでなかろうか。素直に対象物と対峙して有りのままを描こう。(寄稿者  青山穆)

  

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾妻峡]

422() どんよりした曇り空の朝だったが予報は終日曇り日と報じられていた。降ればそれも好と腰痛をなだめて出かけた。現場は新緑まっさかり、曇天とは云え、山の緑は濃淡織りなして萌えたっていた。この情景を水墨で描き現わす手があるだろうか。挑戦したいものだ。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [長源寺の牡丹]

419() 今日で見納めとなった。雨と風にたたれて10日間と続かかない開花だった。春以来ずっと体調を崩していたが牡丹に助けられるようにこの23日、嘘のように快調になった。好きに描いていれば万事良しとはごうきなものだ。お寺へお礼に今日の1枚をかけよう。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [牡丹]

414() 長源寺の牡丹、一昨日はまだ蕾だった。今朝見るともう、開いているではないか、天気は風強く曇っている。明日は雨の予報。牡丹は雨に弱い、日延べはできない。とり合えず、夕刻に2枚写生を済ました。今日は没骨で清墨に留意したが、時間をかけて線描をして見よう。(寄稿者  青山穆)

   

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵高麗川沿い]

45() 所沢の桜は終わっているがここは今が見ごろ、若芽の萌黄色と寄り添って華やいでいる。間断に聞こえる渓流の水音もここちいい。郊外の写生は老いて心身共の健康には一石二鳥の良法だ。心して励行しよう(寄稿者  青山穆)

  

 

青山スケッチ日記 [狭山丘陵茶畑]

319()梢に芽吹きの始まった気配がする。茶ノ木は新芽が初々しいきみどりの葉を伸ばしてきた。十日も経てば淡いピンク色の山桜も満開だ。春爛漫となる。

今日は斜面の茶畑の前に座り込んで、あらぬことを夢想した。宇宙のかなたへ弧を描いて飛び廻り、再び戻り来る軌跡があるものかと…。自分の居場所はここだよと老いの憂さ晴らしだ。(寄稿者  青山穆)

  

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵高麗川]

311()水ぬるむ陽気に、遠足の弁当のおいしさを思い出して先ずは写生の前におにぎりを食べて、蛇行して流れる川の平面と立ちはだかる山面の立体構成にポイントを絞って写生したが、徹しきれずに反省する。現場に立つと景色に目を奪われ、あれこれと想念に引き込まれて自己統制がむずかしい。日を改めて近日中にまた出かけよう。(寄稿者  青山穆)

  

 

青山スケッチ日記 [彩翔亭の梅]

214()梅咲いて陽の暖かな終日、写生。日本庭園彩翔亭の梅ならば今が見ごろと風邪も収まって、勇んで出向いた。古木の2本の白梅と1本の紅梅が庭園を我が物顔に独り占めするように競演していた。半切8尺の綿料単宣紙を膝の上に繰り出しながら何一つも画策なく、梅の絡み合い、交差する枝を目で追いながら一筆一筆と筆運びする妙味はほかに言い尽くせない冥利だ。四枚描いて、中休みに緋毛氈を引いて抹茶を一服、何とも贅沢な祝福のひとときを過ごせた一日だった。(寄稿者 青山穆)

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青山スケッチ日記 [北陸の旅]

128() 東京に初雪の大雪が降った。雪景色を見ようと北陸行きを目論んでいた矢先のこと、戸迷いはあるが久しぶりの雪の北陸はやはり異郷だ。先ず、雪の降り様からして天候の変わり目が早いのは北陸特有なのだろう。晴れかと思うともう雪だ。宣紙を広げて写生など許されない。印象に残るポイントを億写した。雪景色はやはり雪国である。(寄稿者 青山穆)

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青山スケッチ日記 [椿]

123() 今朝は昨日から降り続いた雪は止んで、銀世界にびっくり。陽が昇るのを待って昼まで雪かきに精出す。隣の若夫婦も一緒。庭の椿が雪の下敷きになりながら、紅の色がまぶしい。午後の暖かい日差しを受けて雪は一気にとける。印象にとどめ置いて雪模様の椿を描く。(寄稿者 青山穆)

 

 

 

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