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2016

2017

2018

2019

2020

2021

 

 

 

 

 

青山スケッチ日記 [武蔵野三芳町ケヤキ]

1223()耳元をガサガサ、寒風がこすりぬける。ケヤキの梢もこきざみに揺れている。待ち望んでいた冬景色の到来だ。竹箒を逆さに立てたような姿は武蔵野の冬の風物詩、居ながらにして手に届く絵のモチーフになり、高齢になって大変助けられる。今は深紅の山茶花に黄色のツワブキ、それに鴨がいい。今冬は遠くへ行かず、歩く範囲でじっくり写生だ。(寄稿者  青山穆)

 

青山スケッチ日記 [武蔵野風景清瀬中里ケヤキ] 

1216()暖冬の今年は12月半ばにしてようやく、待ちかねた裸木のケヤキが現れた。昨日、散歩で武蔵野の面影を偲ばせる農家の佇まいを見つけて焦墨で描いた。通りがかりの男性が「墨ですか」と挨拶代わりにつぶやいて行った。意図したような「間」の取り込めた絵に仕上がったろうか。初冬の空気も立ちこめた風情になったろうか。(寄稿者  青山穆)

 

青山スケッチ日記 [裏妙義山] 

1212()二度三度と来た道、おぼろげに見当をつけて走る。道中の一人はここもとないが写生は一人がいい。眼前に突っ立つ岸壁に尋常では手のつけようもなく鳥肌が立つ。やっぱり異質なものとの対面はこんなにも高揚させられるものか、畏敬な心境に誘う。初冬の青空に立ちはだかる岩肌を一筆一筆となどるまどかしさ、はやる気持ちを抑えて2枚描き、昼帰途。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [清瀬円福寺紅葉] 

128()落ち葉が初冬の陽ざしを受けて、からから、からから、泣くようだ。今日は開戦の日、写生にたまげて思い出さずじまいで終わるところだった。幼少時代の回顧はこの前後からたぐり寄せが始まるから記憶にとどまっている。悲しみは数倍の喜びおも打ち消してしまう。生きることの根が深いのだ。但し、写生の喜びは悲しみを普遍的に助長して消え失せない。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [清瀬円福寺] 

125()今朝は風もなく暖か。ゆっくりして空堀川から山門を入ると思い掛けなく楓の紅葉真っ盛りだった。初冬の柔らかな日差しが描けないものだろうか。およその勘所は掴めるから、明日試みてみよう。被写体にグッと寄ること。主体を絞り込み、単純化する。形は省略、空気感を強調する。そのための筆墨法をどのようにするか、溌墨もぼかしも不要だ。潤でなく干筆、線と皴を多用して染めは清墨がよい。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [長源寺晩秋] 

123()今夜の秩父夜祭は暖かだった。写生を終えて2時すぎに家を出て秩父に着くとまだ山並みは冬空にくっきりと連なりを見せ、小刻みに連打する太鼓の音で祭り気分も一気に盛り上がった。リズムに乗ると本当に高揚する。秩父太鼓は腹の底へじっくりしみ込んでくるようだ。水墨画もかくのごとく、目も耳も研ぎ澄ませて豊かな感性で表現したいものだ。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺こぼれ日] 1119()

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺紅葉]

1110()みずみずしい黄色の肌をしたかりんを一つ拾って上を仰いだ。紅葉の始まった木々の葉になんと空の青がまぶしいことか。落ち葉はまだ早く、こぼれ日が秋を偲ばせる。彼岸花の咲く時期は日陰を求めたのに今日は陽だまりに陣取って昼まで描いた。午後は明日から始まる地蔵尊石像個展の冊子を用意して準備完了。明日の飾り付けが楽しみだ。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [地蔵尊妙智童女多福寺]

1015()朝方は涼しさを通り越して肌寒かった。日中の紫外線は強く二の腕の肌はくっきり日焼けした。今日も写生。仏画を描くつもりは微塵もなく石像物に専念するがいつしか云い知れない表情をまさぐっているようだ。仏画はいつの時代にどんな人が描き始めただろうか。その心境は地蔵尊に聴けば聞こえてくるだろうか。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺地蔵童子]

1013()台風一過して銀杏拾う。空を仰ぐと葉っぱの吹き飛ばされた梢に朝陽がきらきら光って目にいたい。TXニュースは台風被害を流し続けている。電話は生存年数幾ばくも無いと医師からの宣告を受けながら抗がん剤治療を選択したと甥っ子の病状ことや、四月にあったタイの山本さんが息を引き取ったと、聞けば身につまされ切なく悲しいこと多かりし。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺地蔵曼珠沙華]

101()脳溢血で倒れ中年の人生を謳歌せし得る心身を失った息子の書き残した創作を不甲斐に思う年老いた友人の母親は子は幾つになっても我が子だ、愛しくて仕方がないのだろう、世に知らしめようと出版した。子に寄り添いながらも親子ともども創作者として彼女の妥協を許さない我が子を見る批評眼は厳しくも暖かい母親に自愛と敬服する。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺地蔵秋彼岸]

926()親鸞上人はどんなお人だったでしょうか。上人だからさぞかしお偉いお坊さんでしたかと思いきや一見田舎の気難しく偏屈なお人かなと思いもする。弟子は一人として認めずとか、我が長子の善鸞を地獄に落ちようとも悔いはなしと勘当までして信仰を曲げなかったお人だ。地蔵さんと対面していると仏の情がどんなものか上人と重なってくる。(寄稿者  青山穆)

    

 

青山スケッチ日記 [多福寺地蔵尊]

92()雑木林に囲まれた寺は江戸元禄時代およそ4百年前、武蔵野の新田開発が川越藩主柳沢吉保の命により始まって、入植農民の菩提寺として建立されたと聞く。写生するには好条件がそろい、梅に藤、紅葉と死期を通して癒されるところだ。今日で境内に立つ地蔵尊の6体目を描いた。また焦墨で描いてみたい。墨の力、あれこれ探ってみよう。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺地蔵尊]

822()雨雲におおわれて今日は涼しいです 落ち着いてゆっくり描きますからね とてもすてきなお顔です いろんこと聞いてもいいですか ぼくの前にお参りした人からどんなお願いごとがありましたでしょうか 子育て安産授かりごと ぼくの願いごとは何一つありませんが後生のことを心にしてその日一日絵を描くことで過ぎて行きます。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺地蔵尊、地蔵菩薩]

816()819()身の丈40センチほどの如意宝珠と錫杖を持った幼子のような顔をした菩薩さんが六地蔵の真ん中へ割り込むように並んでいた。子育てにまつわる願いごとをなんでも聞き届けてくれるそうだ。有難いことだがぼくには,ただ、夕立が気にかかり、すかさず描き始めた。もとをただせば、描いて楽しんでいられるということはぼくはすでに果報者だ。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [彩翔亭水辺]

87()この暑い昼下がりに飛び回っているのは子供たち、羨ましいほど元気だ。こちらは木陰ながらも筆を持っていれば吹き出る暑さに辟易しながら、お昼を挟んで2枚描くと足腰立てなく疲れた。画も暑苦しいでき上がりで人の心を正直に読み取るものだ。自然をなぞらないで心を描けと、格言「外師造化中得心源」に云うが水墨画表現の限界を云い当てて妙だ。(寄稿者  青山穆)

  

 

青山スケッチ日記 [彩翔亭水面]

85()今日は広島からナガサキへ一人旅に出た日を思い出す。原爆記念聖堂の織町教会に宿をお願いして原爆の痕跡を見て回り被爆体験者の肖像画を描いたことや身体障害者作業所を案内されたり、みんな初めての体験した暑い8月だった。写生して照り返す水面を見ていると穏やかで実に静かだ。それに反して筆墨は黒くがさがさと、これが画の力なのか。想いはかくせない。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [吾妻峡の石]

82()やっとの梅雨明けで今日は猛暑日となる。来月のフエスタ展参加の作画を始めた。8月の間に毎日数本の線を引くだけのこと、刻み込むようだ。八月は終戦や原爆記念日があって痛ましい月なのだ、何かなさねばと思うが成す術もなく、1枚の紙に意思の証の線を刻んで見せしめに、また1本引こう。数日前の石の写生をつらつら眺めて思うことである。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [航空公園]

728()先週のこと、午前のサークルを終えて梅雨明け宣言が待ちきれないもどかしさにやる場なく航空公園で一枚写生する。翌々日は案の定、早朝より青一色の快晴となったけれどもしかし、天気が作画の良し悪しを決める道理はなく自分如何であるはずだ。この一枚は梅雨の鬱陶しさから吹っ切れたものだ。思うがままに臆せずに描けばいい。(寄稿者  青山穆)

 

青山スケッチ日記 [長源寺松]

717()昼になると忘れてしまったような青空が久しぶりにのぞいて梅雨明けの兆候かと思わせるようだった。庭師もすでに午前の仕事をすませて昼食の様子、こちらは松に取り掛かった。足元では活発にアリが動き出し蚊が集ってきて梅雨明けを宣告している。今日は密生して集合する葉の形状に共通する基本形を見つければ統一感のある造形がえられると思う。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [長源寺庭]

715()空を仰いでいたが案の定ぽつりぽつり、雨粒がおちてきた。梅雨とは云えども屋外で写生の気分は鬱陶しさから解放されて格別にいいものだ。一昨日は全生園へ松をみんなで写生に行ったが今日は一人で気のすむように描きたかった。松は身近にあって山水画にはありきたりのようだが取り組むと手ごわく興味深いものだ。引き寄せてじっくり描きたい。(寄稿者  青山穆)

 

青山スケッチ日記 [長源寺山門]

710()今年の梅雨は例年になく日照時間の短い日が長く続いて写生に外出が思うようにゆかない。大変なのは農家の皆さんでなかろうか、我が庭のゴウヤを見ても息絶えて育ちが悪い。田んぼも畑も日照がなければ色んな被害が出てくるだろう、地震や津波には避難訓練や災害防止をするが梅雨どきに晴れ間を作ることはできまい。疎ましく思う。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [所沢彩翔亭睡蓮]

76()ぽとぽと、三つ四つ白いスイレンが咲いて緋鯉が泳ぎ寄っては離れていく様子に見惚れた。今日は終日どんより暗い梅雨空だったが2枚も描けば気分は上々晴れやかだ。明日もと期待して描きたい状景がいくつもあれこれ湧き上がってくる。多福寺の三門、長源寺の松に鐘楼、牛沼の農家の白壁などはいつも見慣れていながらも心の置きどころ次第で今や新鮮なモチーフに映り替わるとはいかがなものかと思う。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [所沢彩翔亭]

627()15「外師造化、中得心源」の格言を贈ってくれた北京の若い新鋭の水墨画家丘挺と昨日再会してまた新たに「外山象求」とその意味はくみ取れない。数点の近作を見せると予期しない川面を描いた一点に何度もうなずいていた。察すればこの道を進むべきだと諭されて古代の山水画黄公望を根底から学ぼうと励まされている思いがした。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [清瀬柳瀬川]

617()カッコウが梅雨入りするとその日の天気の様子で朝に夕に鳴く。今日は雨が降るよ″と告げているようだ。毎年この季節の数日の間に同じカッコウが来るのだろうか。鳴き声を頼りに探すと森の1番高い梢に鳩ほどの黒い姿を一つ見つける。観察していないがあぁ、鳴いている″と鳴き声を聞くと今年も梅雨に入ったかと自然の移ろいを実感する。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [秩父巡礼28番浦山口]

614()梅雨の晴れ間、夏雲の出た秩父の山を写生してパソコンを検索すると一昔前の線描で描いた秩父の山を見つけた。方向は違うがたしかに今日の山である。体力にまだゆとりがあったのか自制した仕上がりに我ながら歳をかさねる変わり目の節ふしを思い知る。山は姿を変えないが絵を描くことがこんなにも自分と対面させてくれるものなのか。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵東吾野]

65() 蕁麻疹のかゆみが性懲りなく間断に続いて鬱陶しく処方薬も効き目がない。今日は梅雨入りの曇天でもあって全紙を1枚のみ折りたたんで軽装にして出た。行き先も紙を広げる場所も想定済みだ。土地の古老も静かなところでしょうと相づちを求めるように通って行った。今日は後にも先にも口利きはこのときだけで渓の音が今も耳のおくに続く。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [墨美会秩父の旅]

522() 昨日は早朝より長瀞の昼食まで雨だったが食事処の窓から2枚描く。小鹿野で泊り、5時に目覚めると雨雲もさって立ちのぼる霧が絵心をかき立てて1枚描く。バスは「天空の村」栃本関所跡へ登りつめてぼくは写生の手口をみんなに講釈。この道のりを思い返せば云うは易いが聞き入れられるろうか。絵を描くのは人それぞれ、またの機会に繰り返そう。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [長源寺石]

520() 蕁麻疹の時々襲うかゆみと風邪気味の体調で落ち込み漫然と境内に座り込む。目の前の石を眺めると思いもかけないその風貌に魅せられて描くともなく描いて何を描いているのか自問する。表現者に至る以前の心理は錯綜して漂い続け漂着の対岸を知らない。映画「あん」を見てハンセン病に寄り添った故人の終焉の地北海道寧楽へ旅を思い立つ。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾野]

519() 先日62枚写生のうちの途中までの1枚を補筆してみたが気が抜けたようで思わしくない。あの時の情況に立ち返えれなく、記録にただ残して置く。写生の醍醐味はやっぱり現場の感動を満喫することだ。絵の出来具合ではなく、感動するこころを集積して豊かな心境に浸りたい願望で繰り返し写生するのだろう。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [長源寺松]

512()先日大宮盆栽村で見たあの樹齢5百年と云う鉢に植わった風格のある松の印象が忘れられず、今日はお寺の植木の小枝に近づいて見た。写真と見比べると小枝の密度感に全く気付かず観察力が足らない。省略による構成の緊迫感にも盛り上がりがなくまた描いてみよう。省略と余白によって生まれる構成を最大限に重要視しなければならない。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [智光山公園松]

58()上段2点は昨年7月の写生、下段2点は今日であるがなんとよくも自分が描いておきながら似たような具合になっていることに我ながらたまげたものだ。あれこれ描いて1年経ったが人の本質はよほどの事情がない限り変わるものでないようだ。本質は変わらなくとも新鮮な表現があってしかるべきだろう。不精だから変わり映えがしないのだ。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾野]

56()水墨画は視覚に頼って描く絵画でないことに近頃思い至って苦慮する。ハートで我がこころを描くのが水墨画の神髄でないだろうかと考えれば絵を描くことは目的でなく求心の過程にあって絵画の完成を望むのは全く不遜である。自分の写生はあながちにして形を写そうと努めるが形を借りることに過ぎず、臆せずに来世の幸せを信じて我がこころの追求でありたい。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾野]

426()開花した牡丹は雨に打たれるとひとたまりもなく頭を深く垂れて立ち直れずに終焉だ。今日は曇天を気にしながら吾野に向かう。やっぱり写生途中でばたばた雨粒が落ちてきてなすべもなく下敷きにくるんで退散だ。少々の雨はときには湿りがあって好都合だが、今度は梅雨入りの晴れ間の日に雨雲の流れる雨景色をしっかり描くことだ。異郷の面白さだ。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [長源寺牡丹]

424()この三四日続ける牡丹の写生から筆墨の特に毛筆へのこだわりと筆法を再認識して迷うことなく自分のしていることを肯定的に考える。水墨画だから必然的に何ら疑問もなく日常茶販にしているが毛筆の効用は画業のみにとどまらず暮らしの考え方にまでおよび命を豊かにすることに気付く。古代からの文明道具を新鮮思考で現代美術に開花させよう。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [長源寺牡丹]

421()どうも今年は天候異変か早咲きの牡丹が散り始め例年であれば次に咲く深紅の牡丹には一息間があったが今日には帰り際ぽっと口を開いているではないか、今週は目の離せない日が続きそうだ。これでまた来年か、年年歳歳花咲けどもはかり知れないのがわが命かと思えば一輪一輪いとおしんで描かねばならない。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵吾野高麗川]

418()写生に出た日はいつも一日中全く会話がなく終わって、そのことを苦にすることはないが今日のように初対面の地元の人とお喋りをしたことは不思議と云えばおかしなことだ。ぼくが話す「ここの古民家に絵描きがいましたよね、土間を裏へ抜けると高麗川で…23軒隣りはお酒を飲んだうどん屋があって…」と取り留めない50年も昔の思い出話に耳を傾けてくれる人と出会った。写生の雨宿りに軒下を貸してくださる付き合いになるだろう。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵白子高麗川]

416()蕁麻疹のかゆみに悩まされているうえに23日前から風邪をひいてしまった。桜も散り終わりケヤキの梢も新緑が芽吹いて日増しに風薫る陽気に変わって写生日和というにこの体たらくだ。気分一新に今朝は手慣れた白子地区へ下りたつといまだに桜は満開にして鶯が鳴き桃にレンギョウ、ツツジや椿、色とりどりに咲き穏やかな水の流れに鴨も遊ぶ。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵横手高麗川]

44()春の陽気に誘われて流れる水の景色を描こうと通いなれた高麗川上流武蔵横手にたどり着く。早朝に目覚めて今日は谷川岳の残雪を目論んだが甲信越は雪情報で一昔前のように雪の上に座りこんで描くほどの無頓着なことはもうできないとあきらめた。その分の余力があれば絵の上で思う存分に格闘すればと思いも晴れるに至った。いい一日だった。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [甲斐駒ヶ岳]

324()三月に入ってから残雪の駒ケ岳を目ざして好天を待っていた矢先の正しくその今朝を迎え、あわただしく中央本線かいじ1号に乗った。甲府の乗り換えから車窓は期待に応えるようにきらきら光る残雪の南アルプスがお出迎えだ。久しぶりのご対面だが、昔日のことは忘れて初めて見る感動に小躍りするようだった。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [わが家近辺]

320()毎日のように身近に見ている風景をかつて写生することはなかった。しかし、異郷を求めるのは絵心をかき立てて気分も高揚してよいがいろいろ制約があり思い立ってすぐにとは手軽にできない。わが家の近辺の写生であれば至って手軽にできて、利点もあることに気づいた。但し、見慣れた風景からどんな興味を見つけ出すか、そのつど多いに緊張する。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [狭山丘陵]

3月18日() クヌギの木肌が早春の陽を照り返してまばゆい昼下がりにせせらぎの水をすくい取って墨流しをする。今日の風は瞬時に強く吹くが陽はいっぱいに注いでくれるから、なんども墨は流して厚い層が作れた。樹木の自然にかこまれて全紙の絵ができてひとまず思いが叶う。帰途、市役所へ「山茶花」を「円い絵」に掛け替える。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵白子高麗川]

 314() 梅も咲き終わり山吹の黄色がひときわ目立つ高麗川の水辺に紙を広げると水かさは多くないが石に阻まれる水流は激しく音を立てて流れ、いつ果てるとも知れない。しばし見とれてしまう。きわめて小さな景色であるが広大な時空を超えた自然に誘われる心境をすぐさまに気付くわけでなく墨流しをした時を過ぎた今、思い起してかみしめる。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [所沢牛沼と清瀬円福寺]

312()写生は作画心境が整っていることを前提として、まずは写生地を決めることが先決だが、さて構図は、運筆は、墨色濃淡はとあれこれと考えながら描き進めるがいつも何一つ法則はない。法則を見つけても次に役立つと限らない。いつも発見だ。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [所沢中富屋敷林]

310() 今日の写生地は川越藩主柳沢吉保の命により元禄7年、入植180、1戸の間口が40間、奥行375間の短冊形の地割は当時のまま今も畑や茶畑にして耕作されている。茶畑のお婆さんは13代目が昨年死んでもうやり手がなくなったと話す。多くの農家が跡継ぎ不足と農業継続対策など、今の時世に乗り切れない状況は聞くに耐えがたい。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [墨流し白梅]

2月25()わが家の梅も咲き始め、蕗の薹も摘み取った。地べたに紙を広げ、梅を描いて墨を流した。昨日、神保町檜画廊へ位里さんの絵が懐かしく見てきた。「流した墨が翌朝にも乾かないで凍っているんだよ」と生前に俊さんからよく聞かされた。原爆の図を描いた当時のことであろう。位里さんは墨は流すものだと云う。20年余前が懐かしく思い出される。(寄稿者  青山穆)

  

  

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵顔振峠]

218() 三寒四温の不順な春の天気に惑わされる。今日は快晴。念願の高いところから見下ろすグランドスケールの光景は顔振峠へ行けばかなうと急いだ。杉木立の林道を抜けて登りつめるとぱっと視界が広がって眼下は眩しかった。十数年ぶりの出会いだ。あのときの写生の感動は今日も変わらない。出会いを求めて描いている間の楽しいと云えば、至福の時だ。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺紅梅]

216()紅梅の咲く時期と、昨日はみんなと別れ、とりあえず寄ってみた。一昨日、矢保天満宮の梅林は七分咲きだったからと期待どうりにぽとぽと咲いていた。陽が落ちる間際に2枚描いた。今日は午前に出たものの紙を忘れて昼になってしまった。陽の当たり具合いで空気感が全くつかめなくなってしまう。形より肝心なことだ。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [相模湖]

2月10日()初雪がうっすらと白く積もった。今年は暖冬、このチャンスはのがせられないと相模湖へ向かった。車中、隣り合わせた中国人家族は富士山を子供が見たいと云うから行くというが、雲行きが少々心配だ。いっときでも顔を見せてやってほしい。湖畔は降雪の気配、まったくなし。写生が寒中の写意に変貌してしまった。致し方ない、期待の雪景色が見られなかったから。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [清瀬]

2月7日()先日、四国旅行で砥部に寄って小皿につばきを描いたがいまだに焼き上がって来ない。どんな仕上がりか、楽しみに待っている。写生を終えて帰宅後、画板を広げたとき、自分の絵でない絵を見るような心境のようだ。渡辺さんの「越後村松藩の戊辰戦争」の表紙をぼくの「円い絵」が飾って送られてきた。郷土史を掘り起こした354頁の膨大な著作、幾年を費やしたろうか、好評の手助けになればうれしい。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵横手高麗川]

2月3日()今日は節分。川越喜多院の豆まきも暖かな陽気でさぞにぎわっただろう。ここは静寂そのもの。流れる水瀬と民家は猫の気配もなく、山は広がる天空をさえぎり、狭い簡素な景観に一人とり取り残されているようだ。せめてものこと、人影やコトリ、犬かねこでも描き入れてみようか。従来の写生はほどほどにして自分の夢想する自然観の写生画である。(寄稿者  青山穆)

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青山スケッチ日記 [奥武蔵東吾野]

 123() 年老いて筋力が癒えて体を動かすたび、気付かないが難義している。写生に出かけることは足腰の鍛錬になり、目的もはたせて一石二鳥だ。今年は厄年に当たり、天気次第でもっと頻繁に出かけよう。写生は苦にならない。爽快感、高揚感、達成感、探求心、思考力、雑念払拭、沈思黙考、列挙すればよいことづくしだ。健康であればこそ自重も肝心。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [所沢牛沼]

120() 昨日、今日と梅の咲くのを見つけた。屋敷林や畑の道で出合い頭に見つかるものだ。待ち続けた手紙を受け取ったようにうれしい。北風は冷たいが陽当たりは暖かく至福をひとり占めにして有難いことと思う。節分が過ぎ、こぶしが咲くまでこの陽気は続く。紙背に食い込むような線でじっくり描き込みたい。(寄稿者  青山穆)

 

 

 

青山スケッチ日記 [奥多摩四方津]

1月19() 中央本線車窓から眺める相模湖周辺の北斜面山魂、特にこの冬場に感じ入って何十年と立つ。何が魅力だろうか。若い時代に東京の騒音から逃れるように旅に出るとき、高尾を過ぎると突然のようにこの山並みが車窓を埋め尽くす。旅に出る若者の孤独感が感傷を誘うのだろうか。刹那さを懐かしく想いおこす。自分一人の世界、絵とはこうしたものなのか。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵秩父横手]

115() 先週、今日も横手高麗川へ出向いた。山間は3時には陰り、急に冷え込む。昼の陽光を受けた景色もがらりと変わる。今日の出来ぐあいはどうかと見直すゆとりはない。即刻にもう、退散だ。欲しかったのは深い墨色で厚みのある質感。積墨のマチエールを堪能したいが十分な時間がない。冬の今の時期は11時から2時の時間帯が勝負どころ。時間、対象、用具、など写生の環境条件を整えなければいけない(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵秩父横手]

110() 求めたい、出会いたいとまだ触れたことのない新鮮な感性を探す。今日は雪になるかと予報される山間を横長の宣紙に描く。思いだけでは絵にならないが、この思いなくしては論外、その表現に適した筆墨技法を駆使しなければいけない。水墨画はシンプルであるが故に筆法は複雑怪異、長年の修練と経験の集積から最終にはまたシンプルな姿に還帰できることが理想。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [奥武蔵武甲山]

17() 今日も写生。横瀬から見る武甲の山肌は日本の高度経済成長の下支えになった痕跡かと思うと山が美しいだけでは写生にならないと痛感する。山の風景に変わりないが写生はぼくがする、その心が問われるのだ。

今日は、寒風吹いて気がそぞろしても出かけるがよかった。駅に着いて食処のもつ煮の昼飯をしたが肝心の水の調達を忘れて引き返した。1枚描ければいいとあきらめる。老いれば思い違いがたびかさなるもので、帰途は時刻表を読み間違え、駅で1時間も座っていた。一枚描けて、一日が終わった安堵感で悔いもなかった。(寄稿者  青山穆)

 

 

青山スケッチ日記 [多福寺]

14() ケヤキの梢が陽の西に傾いた空を囲む。ぽっかりと広がった円い空はかぎりなく透明だ。地べたに座り込んで見ていると、その感情は一層に強くこみ上がってくる。こんな心情を絵に表せないだろうか。正月三が日過ぎた境内は人気なく寂しい。 (寄稿者  青山穆)

 

 

 

 

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