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2021

 

 

 

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [長源寺山門銀杏黄葉]

 1121() 秋深まり山門に覆いかぶさる黄葉した銀杏の写生に戸惑う。手前の桜の古木をしっかり描けば黄葉が描けると思ったが、銀杏の全体の樹の姿を描くべきだろうか、迷う。あれこれ試そう。今日は淡墨の積墨が成功したようだ。近場の写生で十分に時間を取ってマチエールの厚い、水墨画らしからぬ絵でよかろう。(投稿者 青山 穆)

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [奥武蔵正丸大蔵沢]

 1120() 山間の谷底に陽は差さないで本当に寒かった。渓の石が描きたく見た目は興に乗ったがこの冷え込みは我慢できない。現場の写生は厳しい。しかし、描き終わりの快感は爽快そのものだ。厳しさあってこその快感だ。明日は陽の当たりのよい長源寺山門の銀杏をゆっくり気持ちを込めて描こう。黄葉がきれいだ。今を盛りに咲く山茶花の木も描きたい。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [秩父横瀬]

1116()今日は一筆一筆の筆使いで、すっくと伸びた杉木立を描いて見たかった。東の空に白い月が出て帰る。新井さんから冊子「まっすぐに生きる」が届いていた。この歳にしてまだあきらめないで利他に生きるのか、けな気に人の生きる道をさとす短い言葉にいつも気づかされる。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [長源寺]

1114()松井水墨画会(所沢)近況:雪舟模写を始めました。こんなに良い手本がありながら、気づきませんでした。みんなして雪舟の画集をコピーして取りあえず好きな1点を模写して、遠中近の奥行構成をさぐりだし、線筆と濃淡の使い方に着目しながら、時間をかけての模写にみんな集中しました。雪舟は水墨画の基本を本当によく教えてくれます。心の内まで読み取りたいです。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [ユリと鴨]

 825() コロナ感染と日照りをかいくぐるように一日の帳が降りる。今日は中途で描き止めた、池に行っては写生した中途の懐かしい鴨の画紙が出てきた。絵は優れモノだ、そのときに引き戻されるが今の着想で上描きにする。正しく憶写だ。コロナに閉塞されてこんな時には好都合な気持ちの活性化に良い。明日はこの調子で鯉が描きたい。水墨画をはじめた当時、鯉を探して写生に出歩いたことが懐かしい。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [憶写奥武蔵の山と高麗川]

822()暑さとコロナ、足の衰えでこの暫くは写生に出ない。今日も億写に決め込み初めて念願の着彩も試みる。写生でデッサンの足腰は鍛えられているつもりだ。色感は先天性の持ち味で十分だ。もしや足腰のこの弱りの程度で描ければ新天地が開けて楽しい。描きたいことには事欠かないから表現技法は題材に伴って如何様にも湧き上がってくる、死が来るまで命尽きるまで描けるのでないか、そう願う。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [奥武蔵高麗]

 714() 梅雨の中休み、大洪水のニュースを気にしながら雨雲の上がる山並みの景色を写生に出た。案の定、高麗駅で大雨、様子見にホームから写生。何本も電車は通り過ぎて行った。おにぎりも食べて、ゆっくり4枚描く。何を考えて描いているのか、思うに我ながら不思議な時間である。其処には自分はあったのか、身体はあっても自我はどこかへお預けして空っぽでないか。時間の経過は唯一絵が証しだ。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [長源寺]

 621() 山水画の余白、省略、墨に五彩ありとか説明では理解できないむずかしさ。初心者は当然のこと、長年の経験者でも納得できる講釈は無理だ。習うことより慣れるが先決かと思う。高齢の性か文献を読むことが苦しくなった。外からの情報を遮断して自分の心のひだをまさぐるが一番氣楽で精神的によく成果も上がる。筆墨は追求して体得の楽しさが喜びになる。(投稿者 青山 穆)

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [彩翔亭]

610()中国出身女性6人、西武沿線から彩翔亭に集まった。初めての水墨画を習いたいそうだ。中国様式で写生の手ほどきをする。びっくりするほど理解が早く素直だ。学ぶ基本的姿勢が備わっているではないか。謙遜したり自分を飾ろうとしない。勘ぐること何もなく思うように終わった。こちらの姿勢を反省すること、何の目的があって絵を描くのか心の在り方を大変勉強した。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [吾妻峡]

525()梅雨の晴れ間、青空が広がって久しぶりに爽快満喫だった。河原に降りる崖路は人の手を借りたが思わぬ癒えた足で難義した。実景を前にして省略や余白、濃淡、奥行など、話をしたが皆いぶかしげな顔をしていた。日常生活に山水画を必要としていなければ理解しなければならないハードルがあるから難しくなる。お寺でお経を聞くようなことだ。山水画は生きるスキルに取り込むことから始めなければいけない。(投稿者 青山 穆)

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [軸装里帰り]

429()日中友好のつもりで渡した奥武蔵写生の裸絵が軸装されて海を渡って帰ってきた。緞子の切地に覆輪と筋まわしをした丁重な仕上げ仕事の表装である。思いもしない里帰りでうれしい。掛けて見れば孫にも衣裳で立派、一人ほくそ笑む。画は描いて表装してあるべき壁に掛け3拍子そろってこそ価値が生まれると実感する。滅多にないことだ。(投稿者 青山 穆)

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [長源寺牡丹]

 420()昨日今日で2枚写生。開花期が十日早く雨天が続いて今年の牡丹は今日が見納めだった。写生は条件が揃わないと描き上げるのはむつかしいが楽しさは倍増だ。立てば芍薬、座れば牡丹、何処となくいい香り、来年を待とう。シャクナゲが咲き始める頃だ。あの主は入院したまま帰らぬ人になってしまった。主のいないままの花は描くに忍びない。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [多福寺]

418()牡丹はまだかと多門院へ寄って多福寺で写生。曇り空が夕刻は雨模様、早々にして帰る。教室で竹描きに運筆を小うるさく指導している性か写生も線描になった。やっぱり、これが本道だろう。自分にもこの手法が一番馴染み易く無理がない。水墨画は線だと云わずとも自分には言わずと知れずにあるのだから努力の必要はなく、自覚が肝要だ。天性を生かせればよいでないか。(投稿者 青山 穆)

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [奥武蔵高麗川]

47()河原の小石の上でバランスを失い椅子ごと天を仰いでしばらく動けなかった。激しく水音が聞こえて今日の青空は深かった。近頃、笹を描くのに苦心しているが今見る笹はこっちへ、こっちへ来いと水音に呼ばれているようだ。一枚、一枚と規則的に整った姿が美しい。松は松に習え、竹は竹に習えと芭蕉は言い残したが折り重なる姿に納得した。自然に従い、習い事には自我を捨てねばならない。(投稿者 青山 穆)

 

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [横瀬奥武蔵早春]

316()今日は方寸の紙に大きな武甲山をゆったり描いてみようと出かけた。所沢より半月遅れの梅が見ごろだった。墨をたっぷり含ませた筆を紙に転がし、何ともおおらかな気分だ。今度は半切紙と太筆を用意してもっとおおらかに描きたいものだ。川が流れ、椿や竹も取り込んだ早春譜にしよう。特に今馴染みつつある清竹はかかせない。一つ一つの素材は前もってしっかり写意の準備を怠らないように。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [長源寺紅梅]

34() 今日は春の暖かさ、深紅に誘われて持ち合わせの絵の具で不満だが彩色をした。また描けばいいこと、色は古代色に、冥土の花道を飾る。墨色をコンダクターに役付ける。墨色はどんな色をも包含して引き立てる。浄土界は現世では異境でありながら死後に行き着く世界だ。輪廻転生だ。浄土界を描けば生きる根元力が培える。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [奥武蔵高麗]

31() 春はまだ先か、水温み雪柳の芽吹くはすぐ目の先だ。梅の香りが振りかえさせる。山里の春は一足遅い。久しく来ていない奥武蔵の山並みが懐かしくも新鮮だ。弱った足を引きずって水辺のころあいの石にやっと、腰を落とす。目線は川底から天を仰ぐようなアングルで山の稜線や杉木立が不思議な形に見えて面白い。(投稿者 青山 穆)

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [花鳥風月]

225() 終日春風が吹く。陽は暖かくも寒かった。庭に全紙を広げるに難義した。昨晩から思い描いたのは庭に咲く花々だ。香りを漂わす梅は早春に華やぐよりも侘しくさえ思える。深紅の寒椿はぽとりと落ちる姿から哀れさを知る。行く川の水は絶えずしてしかも本にあらず。よどみに浮かぶはと方丈記の冒頭。自然の営みや景色が人の息遣いを織り込んでハーモニーを奏でる。川の流れる音のように単調の止むことなく続く。(投稿者 青山 穆)

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [庭の梅咲く]

220()花付きした梅の疎密感を風も通さず馬でも通るとよくも云ったものだ。まだまだ描き足りないことに気づく。用紙は六つ切りで十分だ。小でも大を兼ね,隅々まで気が張り詰め核心に迫られる。梅に心を沿わせるのだ。その上に蕾は固く、花びらは薄いガラスのように描きたい。花鳥風月の見栄えに惑わされるようでは描かないがよい。求めるものは梅の姿そのものだ。絵は過程の作業に過ぎない。(投稿者 青山 穆)

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [庭の梅開花]

216()今朝、わが家の梅も昨日の暖かさでパッと咲いて椿に水仙と三寒四温で春が来た。隣の麦畑に遺跡調査の重機が入って住宅が建つのだろうか。人の風貌と同じで時が変われば変わるように武蔵野の面影も偲ぶに過ぎない、この梅の木もここに住み着いて半世紀が経って、当時に挿し木をしたものだ。何れか朽ち果てるだろうが、今は春になればけな気に花を咲かせて和ませてくれる。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [梅古木]

213())前の畑の古木は後34日待てば見ごろ。あちこちの梅の咲くのが楽しみだ。昨日、国立の宇美術館平松輝子展の壮大な宇宙観を見た後、矢保天神の梅林に立ち寄りたかったが夕暮れで見過ごす。このところ、花鳥風月、わびさびの古典に興味魅かれる。西洋にない日本人の美意識が無常観の産物かとうさん臭くしていたが前衛的な感性に塗りこめられていることが面白い。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [2021.2.4() ]

  

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [長源寺 松と梅]

l  131()冷え込む。初雪は雪つりを楽しむほどの降りでなかったが写生には身にこたえる寒さ。もしや多門院の寒牡丹が咲いているやもしれない。見落とさないこと、多福寺の紅梅を描いたら廻って見てみよう。春は一足飛びにやって来る。死別、時の移ろいにせかされるように昨日の友がもう会えなくなることも昨年から今年、しばしばだ。(投稿者 青山 穆)

 

 

青山スケッチ日記コロナ時代 [多福寺紅梅]

113()不要不急の外出自粛要請が全国規模に拡大された。大黒さんの葬儀参列して庭の古木の紅梅の二つ三つ咲くのを見て写生に出る。正月初めての写生だ。日本海側は大雪のニュースと聞くがコロナさえなければ写生日和、氣の落ち着かない日になる。一人の喜びは社会全体と共有できなければ無意味である。描くことがいかほどの意味があろうか。確かなことは何一つ分からないが描き続ける向こう側にいずれ見えてくるものがあろう。(投稿者 青山 穆)

 

 

 

 

 

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